【新一万円札】渋沢栄一とは?記念館はどこにあるの?【論語と算盤を解説!】

こんにちは、ヌサバリです。

先日、新しい紙幣に掲載される人物3人が発表されましたが、今回は、長きにわたって一万円札に載っていた福沢諭吉から変わって、日本資本主義の生みの親とも言われる「渋沢栄一」が印刷されることになりました。

とはいえ、どんな人なのか気になりますよね?

かいつまんでお話させていただくと、1840年埼玉県で生まれ、91歳で生涯の幕を閉じるまで、幕臣、官僚、実業家、教育者として活躍したのだそうです。

ですが、残されている写真がおじいちゃんのものばかりなので、お札のインパクトとしてはあんまりないのかなと思わざるを得ません。

実際に肖像画として作成された新紙幣を目にするまでにはまだまだ時間がかかりそうですので、乞うご期待といったところです。

それでは、もっと詳しく解説していきます。

1万円札のデザインが渋沢栄一になる

政府は日銀が2024年度に千円、5千円、1万円の紙幣のデザインが一新すると発表しました。

1万円に現在デザインされている肖像画は慶應義塾大学を創立した福沢諭吉から渋沢栄一に変わります。

渋沢栄一とは現みずほ銀行の第一国立銀行や王子製紙の今でも残る大企業や東京証券取引所、一橋大学、東京経済大学などの大学まで多種多様な設立や経営に関わってきた経歴の持ち主です。

それゆえ日本資本主義の父とも呼ばれ、多くの功績を残してきました。

渋沢栄一とは?日本資本主義の父と呼ばれた人

貨幣の刷新で一躍脚光を浴びる渋沢栄一は「日本資本主義の父」と呼ばれるほど多くの企業や教育機関の設立、経営に携わってきた人物です。天保11年に誕生し、徳川家最後の将軍である徳川慶喜の幕臣としてパリの万国博覧会へ視察にも行きました。

大政奉還後は大蔵省官僚や第一国立銀行頭取に転身し、多種多様な企業の設立に関わりました。

実業界だけでなく、日本赤十字社の設立や現一橋大学や現東京経済大学など多くの教育機関の設立にも力を注ぎ、日本の社会や文化、教育の発展に貢献しました。

渋沢栄一が設立した会社は500以上

渋沢栄一記念財団によると渋沢栄一が直接設立に関わった会社・団体は648、間接的に関わった会社、その後継企業など合計すると1839社と記載されているように、明治初期の日本の経済界のあらゆるところに関わっていた人ということになります。

豪農出身から幕臣になり、その後明治政府の大蔵省に努めたのち、第一国立銀行、東京証券取引所に始まり、日本赤十字社などの社会活動にも貢献した明治初期の日本にとって重要人物です。

渋沢栄一 論語と算盤

渋沢栄一は1840年に今の埼玉県深谷市に生まれ、一橋家の家臣になった後、幕臣となり、1867年にヨーロッパ諸国を歴訪しました。第一国立銀行をはじめ約500社の企業創立、発展に貢献した人物で、論語と算盤は、甚だ遠くして甚だ近いものと終始論じています。

70歳になった際に友人が造った画帖には、論語の本と算盤、シルクハットと朱鞘の大小の絵が描いてあったそうです。

その絵を見た学者の三島毅の言葉を受けて、論語と算盤というかけ離れたものを一致させる事が自分の努めという考え、教育や社会福祉にも尽力しました。

渋沢栄一記念館とは?埼玉県深谷市にある

今話題の渋沢栄一ですが、渋沢栄一についてよく知ることができる施設があります。

渋沢栄一記念館は埼玉県深谷市にあり、施設内は無料で見学することができます。

渋沢栄一の功績に関する様々な資料が展示されており、歴史に興味がある方には大変興味深い施設です。

資料解説員に無料で説明を受けることができ、渋沢栄一について理解を深められるのも良いですね。

JR深谷駅からバスで30分と公共交通機関で訪問できる施設ですので、興味を持った方はぜひ訪れてみてください。

渋沢栄一記念館の場所と閉館時間は?

渋沢栄一記念館は、埼玉県深谷市下手計1204にあります。

開館時間は午前9時から午後の5時です。

深谷駅から車で約20分の場所にあり、入場料は無料です。

渋沢栄一の社会活動

渋沢栄一というと、現みずほ銀行をはじめとする様々な企業の設立、経営に携わったり、東京証券取引所を開設したりなど、実業家としての面が注目されがちですが、実は社会活動にも大変力を入れていた人物です。

特に、当時、実学教育が盛んでなかった日本において、実学教育の重要性を唱え、森有礼と共に産業界の指導者育成を理念とする、現一橋大学を設立したことは、大変画期的な活動でありました。今でも一橋大学にはその理念が浸透しており、経済人輩出に力を入れています。

渋沢栄一 生家について

実家が深谷市という事で話をすると、あまり深谷市民が渋沢栄一について拘りがあるようには思えません。

勿論、名前は知っているし昔から駅前に銅像はあります。観光としてもどちらかというと、深谷ネギを全面に出している町なので渋沢栄一は市役所でテレビで放映しているぐらいです。

生家もどちらかというと岡部町に近く(現在は合併しましたが)、深谷市の中でもはずれにある場所で深谷市民もあまり近づかない所です。

川を渡るとすぐ群馬県になってしまいます。

新1万円札のモデルとなった渋沢栄一について-まとめ

以上が私が新1万円札のモデルとなった渋沢栄一について調べた全てになります。

渋沢栄一の肖像画が新一万円札に起用されることになり、現在最も注目を集めている人物です。

「日本資本主義の父」と呼ばれていて、明治政府に仕え、現在の財務省である大蔵省で新たな国づくりに奔走したのが渋沢栄一です。

大蔵省を辞めて実業家に転じたあとも、日本最初の商業銀行を開業するなど、91歳で生涯を閉じるまで、公共事業を含めて約600もの会社の設立や経営に携わりました。

「道徳経済合一説」を唱え続けたのだが、現在の「企業の社会的責任」にも広く通ずる考え方を持っていたのです。

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