【天皇機関説事件とは?】問題を分かりやすく解説!

こんにちは、ヌサバリです。

天皇機関説とは、大日本帝国の時代の天皇のあり方として、法学者の間で主流とされていた学説です。

国家(大日本帝国)を統治するのは国家という法人そのものであり、天皇はその統治権を受動的に行使する存在に過ぎないという説です。

わかりやすく言うと国家は国家自身のものであり、天皇は国家が活動するための手足に過ぎないという考えです。

国家法人説とも言われ、東大の憲法学者で貴族院議員の美濃部達吉が唱えた学説です。当時の学界やジャーナリズムの主流の考えでした。

「天皇は神聖不可侵で国家そのもの」という反論

これに異を唱えたのは、同じ東大の憲法学者上杉慎吉でした。

明治憲法には「天皇は神聖にして不可侵」と記されています。

すなわち、憲法上では天皇は神聖不可侵なので統治権を自由に行使できること。また天皇は絶対的存在で権力は無限であるという説です。

わかりやすく言うと天皇は手足などではなく「大日本帝国という国家そのもの」という考えです。

美濃部と上杉の論争は大正時代初期に活発に行われましたが、大正デモクラシーの空気の中で上述の通り美濃部の説が正統主流として決着されました。

軍部と国家主義者によって攻撃される天皇機関説

昭和に入り、世界恐慌と満州事変を経て、大日本帝国の先行きに危機感が漂います。

その中で徐々に「天皇こそ日本そのものである」という考えの天皇中心の国家主義が高まっていきます。

やがて1932年に五・一五事件が発生。大正デモクラシーを支えていた政党政治の代表である犬養毅首相が暗殺されます。

これによって軍部の台頭と国家主義のさらなる高揚の時代に入ります。

犬養の死後を継いだ斉藤実・岡田啓介両首相は二人とも海軍出身でしたが、どちらも急進的な国家主義者ではありませんでした。

しかし二人とも軍部の圧力に対し無力で、いわば押し切られる形で次々と国家主義におもねった政策を打ち出します。

軍部の主張する国家主義に対立する、マルクス的社会主義・自由主義・民主主義的な学問への弾圧がはじまりました。

全国で法学・歴史学・政治学などの教授が次々と休退職や著書の発禁、学説の撤回に追い込まれます。天皇機関説も例外ではありませんでした。

岡田啓介による内閣が始まると、かねてから右翼に攻撃を受けていた天皇機関説は、1935年に貴族院議員で軍出身の菊池武夫により改めて非難されます。

そしてこれをきっかけに、にわかに重大な政治問題と化します。

天皇機関説は明治憲法の重要な大黒柱で、大日本帝国という国の理論的な支柱でした。

しかし閉塞した時代を打破したいと願う陸軍・在郷軍人会・立憲政友会などの政治家集団の一部・各種右翼団体などが、天皇機関説に対し全国規模で激しい排撃運動を開始しました。

これにより美濃部は貴族院本会議で弁明を求められます。

しかしこれに対して美濃部は極めて学問的な態度でのぞみます。

本会議の席で憲法学者として理路整然とした弁明を行い、天皇機関説の正当性を主張しました。

しかしその理路整然さが逆に排撃派の感情を逆撫でし、ますます彼らをいきり立たせてしまいます。

事態は岡田内閣の総辞職を求めるまでに発展。

国家主義者の圧力に無力な岡田は、当時の内務省に美濃部の天皇機関説の主著書である「憲法撮要」などを発禁処分にするよう命じます。

しかし排撃派はなおも不満が収まらず、ますます岡田や美濃部への攻撃を強めます。

政府によって否定された天皇機関説

ついに1935年8月、政府は「国体明徴声明」という声明を発表します。

その内容は政府として美濃部の説を誤りとして完全に否定するものでした。つまり「大日本帝国の名において天皇機関説は認めない」という声明です。

このことは大日本帝国自身が、自身の拠り所である明治憲法を否定するという事でした。

こうして天皇機関説事件は、明治以来続いてきた憲法による政治体制の崩壊を意味する出来事になったのです。

この事件によって美濃部は貴族院議員の辞職に追い込まれました。

しかしなおも軍部は断固たる措置を求め、政府はダメ押しのように10月にも同内容の第二次声明を発表。

また議会も政府に賛同し「国体明徴決議案」を可決したのです。

天皇機関説事件は大日本帝国の矛盾そのものだった

この事件の根元にあるのは、明治憲法が天皇を「神聖にして不可侵」としたことにあります。

明治憲法が発布されたときから、天皇機関説が指摘するような現実に基づいた国家運営の仕組みと、いわばファンタジーのような天皇の位置づけとの間に矛盾が存在していました。

それが昭和前期の世界恐慌・満州事変などの国家的危機によって露呈したのが天皇機関説事件です。

この矛盾の最終的解決には、明治憲法に基づく大日本帝国という国家体制の消滅。

さらに天皇の「神聖不可侵」というあり方の否定しかありませんでした。

以降の歴史はまさにそのように進みます。

日本は太平洋戦争に突入。連合国に無条件降伏した後、米国の占領下で大日本帝国は解体されます。

明治憲法も破棄され、日本国憲法による新政府が生まれます。

日本国憲法で天皇のあり方は「神聖不可侵」から、単なる「象徴」となりました。

なお戦後の法学界は、この天皇機関説事件の反省から「権力の不干渉と学問の自主独立」というポリシーを打ち立てました。

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